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卒業生インタビュー(4回目)-音楽学

大西 たまきさん
1997年 修士課程(音楽学)修了

「自分が社会に役立つのは、日本にファンドレイジングを広める助けをすることだと思いました」

県芸の大学院を修了し、アメリカに留学した大西たまき(おおにし?たまき)さん。アメリカでは、アートマネジメントを勉強しながら、名だたる企業で働き、精力的にキャリアを積みました。現在では、アメリカを拠点にNPOやファンドレイジング(資金調達)の研究者として活躍するとともに、大学で教鞭をとり、これまでの経験を学生に伝えています。大西さんがアメリカ留学を決意した動機や、ファンドレイジングを研究するに至った経緯などをお聞きしました。

musicology-interview-04-01大西たまきさん

????なぜ音楽学を勉強しようと思ったのですか。

大西「高校では音楽科でピアノを専攻していたのですが、小さいころから本を読んだり、何か調べたりするのが好きだったので、与えられた曲の作曲家や様式を調べてレッスンに向かうことがありました。そこで高校の先生方に、あなたは研究に向いているのではないかとアドバイスをいただきました。また、大学の作曲科を出ている叔母に相談をしているうちに、音楽学という分野が自分により合っていると思い、大学で音楽学を専攻する決断をしました。」

????進学された東京藝術大学では、どのような学生生活を送ったのですか。

大西「東京という土地柄、コンサートにしばしば通いました。私の学年の担当教授が舩山隆先生でいらっしゃったこともあり、また私は現代音楽に最初から興味があって『音楽を通して、"今"を理解したい』という思いがあったので、"Music Today"といった現代音楽のコンサートに足繁く通いました。
 卒業論文では、十二音技法の開発で知られる作曲家アーノルト?シェーンベルクの表現主義時代から十二音技法時代に至るまでの作品様式の変換をテーマにしました。シェーンベルクを題材に選んだ理由は、先行研究があったという点も大きいのですが、それ以外に、彼の人間としての苦労、たとえば若いころに生活費を稼ぐために銀行員として働いていたといったことに非常に興味をもったからです。  また、藝大時代には、私の将来に大きな影響を与える出会いもありました。」

????それは、どのような出会いだったのでしょうか。

大西「藝大の入試の際に泊まっていた宿舎で、やはり藝大の声楽科を受験するために地方から来ている女性と知り合いました。彼女は、いろいろな事情で身寄りのない人でした。教育大学を卒業後、学校の先生をしながら歌の勉強をしていたそうですが、声楽の先生も、彼女の熱心さに心打たれて、謝礼をいっさいとらずに指導してくれたそうです。彼女の話を聞いて、こんな状況でも音楽を志す人がいるのかと感銘を受けました。でも、ある日試験から戻ってきたら、彼女は宿舎から消えていました。おそらく、二次試験か三次試験に通らなかったのだと思います。  その後、藝大に通い始めて数年たったころ、彼女と大学の食堂で偶然再会したんです。大感激でしたね。でも、その直後、彼女から、生活費やレッスン代が工面できないため、水商売をせざるを得ず、声楽家なのに喉を傷めてしまうという苦労を聞きました。彼女の話から、こんなに一生懸命な人が苦労せざるを得ないという、支援体制の欠如に疑問を感じるようになりました。その後、私が教えていたピアノ教室の仕事を彼女に受け継いでもらったのですが、そのほかにまったく支援なく東京でやっていくのは、非常に難しかったと思います。卒業後、彼女とは連絡をまったく取りませんでしたので、彼女がいまどうしているのか不明なのですが、彼女の不運な状況が、音楽家のための支援、そしてファンドレイジングに私が興味をもった最大の要因とな りました。」

?????学部卒業後の進路はどのように決められたのですか。

大西「藝大に入ったときは、叔母が音大の教員だったこともあり、大学の先生に関心があったのですが、先ほどの声楽科の女性との出会いなどもあり、音楽を取り囲む広い世界や"経営"ということに関心をもつようになりました。当時の日本では、企業は新卒の学生のみを採用していましたので、卒業前に就職活動を手探りながら始めました。最初は出版社や広告代理店も考えたのですが、トヨタ自動車に勤めていた父の勧めもあり、トヨタ自動車に就職しました。当時、藝大の学生が音楽からかけ離れた一般企業に勤める例はなく、就職するにあたって迷ったのですが、トヨタというのは大企業ですから、そういう企業がどのように経営を行なっているかをみるのはすごくいいなと思い、発想を変えて働きました。」

????トヨタ自動車では、どのようなお仕事をなさったのでしょうか。

大西「配属先は人材開発部の採用課であり、最初の仕事は、就職に関心のある学生の会社見学や対応といったリクルート関連のものでした。いろいろと大変でしたが、よかったのは、社会人としての基礎を培うことができたという点でしょうか。また、トヨタ自動車で働いた経験は、アメリカで働くようになってから、実はとても役に立ちました。ありがたいことに、トヨタは海外でも良く知られているブランドですから、誰でも知っているんですよね。ですから、大きな会社で働いて、音楽も勉強してきたって言うと、アメリカではすごく重宝されましたね。また、このときに貯金もできました。留学するときにはお金がすごくかかるんですが、貯金があったおかげでずいぶん救われました。」

????その後、2年半の社会人生活を経て、県芸の大学院へ進学されるわけですが、そのような進路を選んだ理由を教えてください。

大西「トヨタで働いてしばらく経って、このままトヨタに残って自動車関係の仕事をするかどうか岐路に立っていたとき、愛知県立芸大の井上さつき先生から、県芸の大学院に音楽学専攻が創設されたことをうかがいました。社会に一度出たことで、音楽をもっともっと勉強したいという意欲も強くなっていました。東京藝大に戻ることも考えたのですが、少人数できちっと指導が受けられる県芸がとても魅力的に思えたんです。大学院では先生との関係がものすごく重要ですからね。井上先生は藝大時代に優秀な先輩としてよく知られていましたし、また、当時の県芸には、武満徹の研究で有名な楢崎洋子先生もいらっしゃったので、現代音楽を研究するのにもいい環境だと、いろいろ考えた末に県芸に進学することにしました。」

????大学院で印象に残っている授業や活動を教えてください。

大西「やはり一番印象に残っているのは、修士論文に関連したゼミでした。毎週、井上先生と楢崎先生に研究したことを報告して、ご指導をいただくという授業でしたね。先生方からは、毎回かなり厳しい質問をいただくため、とても緊張したことを記憶しています。でも、気鋭の先生方から直接ご指導をいただくというのは、本当にいい勉強になりましたね。
 また、当時、ちょうどしらかわホールが開館し、企画を手伝ってくれる人材を探していました。特に音楽学を勉強している人がいいということで声をかけていただき、興味があったので、アルバイトをしました。ホールのプロデューサーのもとで、作曲委嘱のための作曲家を探したり、ニューズレターを書いたりと、企画のお手伝いをしました。このときの経験は、アートマネジメントに興味をもつうえで、とても大きかったですね。」

????修士論文『シェーンベルクにおける音楽とテクストの関係――十二音技法成立期の作品をめぐって』では、どのようなことを論じられたのですか。

大西「学部時代から関心のあったシェーンベルクについて研究を続けました。大学院の1年生のときに、南カリフォルニア大学にあったシェーンベルク研究所に行き、シェーンベルクの自筆譜を1週間ほどかけて調べました。修士論文では、このときの調査をもとに、シェーンベルクが十二音技法を開発するに至る過程での、宗教や文学的影響について論じました。」

????大学院修了後の進路は、どのように決められたのでしょうか。

大西「シェーンベルク研究所に滞在していたときに、アーカイヴィストの方に非常に親切にしていただき、また、シェーンベルクの息子さんやドイツから来た学者の方にお目にかかり、『アメリカで勉強したい』と思うようになりました。先生方にも相談し、最初は音楽学で留学しようと考えたのですが、藝大時代に知り合いが資金的に苦労していたことや、トヨタ自動車での勤務体験、しらかわホールでのアルバイトなど、それまでの自分の経験と日本でのニーズを考えて、アートマネジメントの分野で留学することに決めました。また、アートマネジメントの分野は博士課程がなくて、2年間の修士課程なんですよね。ですから、まず2年勉強して、どんな感じかみてみようという気持ちもありました。進学先をコロンビア大学に決めたのは、ちょうど音楽 -|部にシェーンベルクの専門の先生がいらっしゃったので、選択で授業がとれると思ったからです。このように進路を決めたのですが、私の場合、いつも行った先で必ず何かがあって、戻るつもりが戻らなくなって、となることが多くて、いまに至るわけです(笑)
 それから、留学助成金を申請し、県芸で修士論文を書きつつ、入学試験などの準備を進めました。」

????留学先のコロンビア大学では、どのような生活を送られたのでしょうか。

大西「コロンビア大学では、大学での授業と平行して、さまざまなところで働きました。やはり大きなところで働こうと思い、まず1年生の途中からニューヨーク?フィルハーモニックで働き、次にオルフェウス管弦楽団、カーネギー?ホールでも働きました。同時に、コロンビア大学で一緒になった友人たちがかなり競争心の激しい人たちだったこともあり、私も負けていられず、言葉のハンディもあるからすごく勉強して、たくさん授業もとりましたね。カーネギーで働いていた2年生のときは、朝、ビジネススクールの授業を10時まで受けて、その足でカーネギーに行って、夕方5時まで働いて、また大学で授業を受けて、徹夜で勉強するという生活でしたね。特に、職場ではいい印象を与えないといけないから、社員の誰よりも早く出社することを心がけ ?|いました。あのころは本当に必死でした。ただ、こうした生活がたたって、2年生の卒業間近に体調を崩し、入院して手術することもありました。」

????怒涛の留学生活ですね。コロンビア大修了後は、どのようなお仕事をされたのでしょうか。

大西「カーネギー?ホールで必死に働いていたのを、上司が黙ってみていてくれたんですね。それが結果的に、全米公共テレビ局での仕事につながりました。コロンビア大学の卒業が近づき、カーネギーの上司に『来月、就職活動のために日本に帰る』と伝えたところ、次の日、彼が『たまき、アメリカに残って仕事したくないのか』と言ってくれたんです。そして、その上司が、全米公共テレビ局の上層部にいた友人に私のことを一生懸命推薦してくれて、最終的に、同テレビ局の大口寄付部門で5年近く働くことになりました。
 ここでは、テレビ局の大口の寄付者たちを対象としたイベントから、手紙?インターネット等を含むさまざまなファンドレイジング戦略に関わり、勉強させていただきました。ただ、同時に、対象とする寄付者はロックフェラー家など非常に有名な人が多く、部署の同僚もほとんどがニューヨーク出身であり、外国人は私一人で、かつ言葉から地元に関する知識までさまざまなギャップを抱えていたので、 非常に大変であったことも事実です。でも、ここで苦労したことは、いま大学でいろいろな研究や企画に関わるようになって役に立っていると実感しています。」

????そして、その後、ふたたび大学院でファンドレイジングの研究をなさるわけですね。どのような経緯があったのでしょうか。

大西「テレビ局で働いているときに、9.11のテロが起こりました。その際に、被害者支援活動にかかわり、小さなことでも見つけてやれば助けになるんだなというのが分かって、自分も社会のためにできることがないかなと考えるようになりました。そのころ、父が病気になって、日本に一時的に帰ったのですが、テロの後、米国の移民やビザ手続きの制度が大きく変わったところで、就労ビザ更新がかなり長引き、半年ほど日本に滞在することになりました。当時の日本では、公益法人改革やNPOに関する議論が活発になっており、ファンドレイジングの必要性も高まっていたんです。そのため、あちこちでアメリカでの経験をお話しする機会があり、また、セミナーに参加したり、いろいろなところに物を書いたりして、大きな反響をいただきました。アメリ カに行く前の日本では、『ファンドレイジングはいやしい活動』とか『芸術家はお金の話はすべきではない』と言われていましたから、時代の変化を実感しましたね。
 そうするうちに、自分が社会に役立つのは、日本にファンドレイジングを広める助けをすることだと思い、そのためにもっと研究がしたいと感じるようになりました。ただ、公共テレビで働いていると、他の活動をするのは難しかったんですね。そういう事情もあって、ファンドレイジング協会の国際大会でお目にかかったインディアナ大学の先生に相談して、研究助成金もいくつか得て、同大学で研究をすることに決めました。その後、同大学の博士課程に入り、博士論文を書いて博士号を取得しました。」

musicology-interview-04-02長久手市文化の家ガレリアコンサートにて(2011年)

????博士論文『起業志向性の顕在化に対する制度的影響――社会投資ファンドをケースとして』では、どのようなことを論じられたのでしょうか。

大西「社会投資、ベンチャー?フィランソロピーという、ものすごく簡略して言うとビジネスとフィランソロピーを融合させたような助成?投資手法に、近年大きな注目が集まっています。日本でもそうですが、アメリカですと、クリントン元大統領等もこうした活動を盛んに応援しています。ただ、計量分析による学術的な研究はものすごく少ない。ちょうどインディアナ大学やヒューレット財団等から私の教授を通して助成金が得られましたので、大掛かりなデータ収集を実施して、研究にこぎ着けました。学術研究では未開拓の分野で、同時に起業志向性と制度論を組み合わせて理論を作る等、かなり複雑な内容になりました。結果的には、こうした社会投資ファンドの行動体系と動機が分かり、理論としてもかなり面白いことが出てきて、非常に良い ??強になりました。」

musicology-interview-04-03愛知室内オーケストラのリハーサル風景(三井住友海上しらかわホール)

????現在のお仕事について教えてください。

大西「インディアナ大学で非常勤講師をしながら博士論文を書いている際に、ノースカロライナ大学で客員の教員ポストの募集があり、ダメもとで応募したところ運良く採用してもらいました。さらに1年後に、正規のアシスタント?プロフェッサーのポストに応募し、採用され、現在に至っています。ここではNPO経営学、社会起業学、そして私のもともとの専門分野であったファンドレイジングを公共経営学部の修士学生たちに教えています。授業では、ケース?スタディなどを多用し、外からプロフェッショナルのマネージャーを呼ぶなどしており、非常に実践的です。同時に、私にとってフィランソロピーや社会起業で最も大切なのは、何が社会のためになるかという、ある意味、心理的?哲学的な内容を理解することですので、同時に映画や文学作品を 使って、人間の価値とフィランソロピーが社会にあたえる意義なども学生たちに討論させています。」

musicology-interview-04-04愛知室内オーケストラ母の日ファミリーコンサート2013のチラシ

????県芸で学んだことは、その後、どのように役立ちましたか。

大西「県芸の修士論文にかかわるゼミで、先生方に厳しくご指導いただいたことは、アメリカ留学中にとても役立ちました。というのは、アメリカの大学院では課題がすごく多く、博士課程の論文指導もとても厳しかったからです。特に、論文指導の先生の一人が起業論で著名な学者で、彼には『一流の学者になるかならないかは、いかに完璧の中の完璧を目指せるかだ』と言われ、ものすごく厳しく指導されたんですね。そのときに思い出したのが、県芸で受けた"愛のムチ"でしたね。ここでめげていてはいけないと思い、必死に努力しました。そのおかげで、最終的にはその先生に『この博士論文は素晴らしい。インディアナ大学が誇るべきものだ』と言ってもらうことができました。
 そして何よりも、県芸で素晴らしい先生方にめぐり会うことができ、その経験が、アメリカで教えるようになった現在の生活に大きな影響を及ぼしていますね。」

????今後の活動の見通しについて教えてください。

大西「日本に帰りたいと感じることもありますが、アメリカに残って研究を続けたいと思っています。理由はいろいろあるのですが、アメリカでは、NPOの研究をする人がまだ限られているので、自分が貢献できるのはないかと思うからです。また、アメリカにいながら、日本の研究者と共同研究したり、日本の実務家と共同プロジェクトをしたりしたいですね。」

musicology-interview-04-06愛知室内オーケストラ第12回定期演奏会の様子(2013年、名古屋市熱田文化小劇場)

????最後に、県芸の音楽学コースで学びたいと考えている人へのメッセージをお願いします。

大西「まずは、一生懸命勉強するのはもちろんなのですが、自分の可能性を信じて行動に移していってほしいですね。以前、アメリカで『ダメだと決めるのは相手であり、自分はやりたければやればいいんだ』と言われたことがあります。ダメもとでいいから、とにかく行動に移すことが大事ですね。
 2つ目は、失敗してもそこで止まらず、何が学べるかを考えてほしいということです。失敗しても一生懸命頑張っていると、逆にそれを周りの人が買ってくれるんです。失敗しちゃいけないって思っていいことばかりしているよりも、どんどん失敗して、失敗をプラスに変えていくといいと思います。
 3つ目は、自分が社会のなかで何ができるかを考えながら行動し、そしてお世話になった方々への感謝と誠意を忘れずに活動してほしいということです。私が公共テレビに就職したのも、現在の仕事に就いたのも、お世話になった方々がよくしてくださったからなんですね。そのときに思ったのは、こちらが感謝すると、相手も一生懸命やってくれるということです。嫌なことがあっても、なるべくプラス思考にして、いつも『ありがとう』と言うようにすると、相手もすごくやりやすくなりますから、これは大切ですね。
 そして、コロンビア大学時代に入院したときに思ったのですが、日ごろから健康管理に気をつけることも大切です。」

大西 たまき(おおにし?たまき)
愛知県出身。東京藝術大学卒業後、トヨタ自動車に勤務。皇族电竞竞猜大学院音楽研究科修士課程(音楽学)、コロンビア大学大学院芸術経営学科修了。オルフェウス室内管弦楽団、カーネギー?ホール等を経て、1999年から2004年まで、全米公共テレビ放送ニューヨーク局資金調達部に勤務。インディアナ大学にて博士号(フィランソロピー、起業論、組織論)取得。現在、ノースカロライナ大学(グリーンズボロ校)政治学部アシスタント?プロフェッサーとして、公共経営大学院生にNPO経営、資金調達、社会起業論を教える。また、皇族电竞竞猜で非常勤講師としてアートマネジメントを教える。

インタビュアー?森本頼子
皇族电竞竞猜音楽学部作曲専攻音楽学コース卒業。現在、同大学院音楽研究科博士後期課程(音楽学)在学。専門は、西洋音楽史およびロシア音楽史。皇族电竞竞猜、金城学院大学、各非常勤講師。

取材日 平成25年12月18日